2012/01/16

筒井康隆さんの話になると長文を書きたくなる病

筒井康隆さんの小説についてメモ。





筒井康隆さんの小説が好きです。

もっと言えば、筒井さんの作品が僕の創作の動機になってます。

世の小説家のなかには、名文を生み出せる人、魅力的な人物を描ける人は数多あれど、
ここまでの遊戯性・ゲーム性をもった作品群を生み出せる人は他にありません。

もしこのブログを読んでいる人で、筒井さんの作品に触れたことがない人がいれば、
まずは1作品でも読んで欲しいと思います。
創作を志す人なら是非とも。

(「自選ファンタジー傑作集  ヨッパ谷への降下」
という珠玉の短篇集があるので、こちらをお勧めします。)


筒井さんの作品の「遊戯性」というのは、小説としては大変特殊なもので
1. ルールの提示部がある。
2. ルールの運用による多様なレベルデザインがある。
という点にあります。
パズルゲームや、数理モデルや、クラシックの変奏曲などと共通する構成を持ってますね。


まず、「これは、こういう作品です」というルールが、物語の冒頭(ないし中盤)で提示されます。
そして読者に対し、ついて来られるかとばかりに想像力のアクセルを吹かし、ルールを「超運用」していきます。わくわくしますね。

かくして作品のプロットは冒頭に提示された規則にそって生成されていくわけですが、
その過程では、作者の奇想から繰り出される驚きに満ちた多彩な変奏を聴くことができます。

ときには寄り道をしたり、笑い話をしたり、山下洋輔ばりにピアノを叩いてみたりしながら
ルールから生じたたくさんの興味深い定理が証明されていきます。

そして最終章は、そのまま大団円で幕を閉じる!と行きたいところですが、
最後の一音が静かに鳴り響くような余韻が残ることもあります。
なかなか一筋縄ではいきません。


筒井さんの作品は、思ってもみないような特殊な終わり方をします。
とはいっても、奇をてらったオチや、どんでん返しがあるわけではありません。
「おやっ」と感じて、ちょっぴり後を引く不思議な結末です。

しかし読者は、なぜだか奇妙に納得して、その結末を受け入れます。
おそらく、作品のルールから導かれた必然性がそこにあるからだろうと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿