・「侘び・数寄・余白 アートにひそむ負の想像力」 松岡正剛
ここ数日、「ネガティブのデザイン」について頭を巡らせていました。
ネガティブのデザインとは、余白=場 に意味を生じさせる外枠の作り方、といったような意味です。
ゲームデザインで言うと、スーパープレイをアフォード(誘引)するステージの作り方、という感じ。
どうやって空間をデザインすれば、プレイヤーに良いプレイをしてもらえるのだろう。
そういう考え方が、松岡正剛さんのこの本にガッツリと書いてありました。
衝撃をうけました。
■ネガティブのデザインは、枯山水や、長谷川等伯が体現しているように
連綿たる日本の方法である
というのです。
ゲームデザインについて考えていたら日本古来の美意識とぶつかりました。
面白いです。
*
■余白=引き算=負から、可能性としての無限を引き出す。
■負と正の交わりに価値を見出す。
という日本独特の方法があります。確かにゲームデザインとして読めます。
こういう元来の感性があるから、ビデオゲーム黎明期においても
日本が活躍できたのかもしれません。
この日本の美意識が理解できれば、
将棋、囲碁という、日本独特のゲームのことも自ずから分かってきます。
■将棋は、歩(負)が金(正)になる。敵(負)が味方(正)になる。
■囲碁は、「余白」「死んだ石」というネガティブの数で争う。
なんて日本的なデザインなんだ、と改めて感動します。
*
特に囲碁の日本らしさは飛び抜けています。
この本には囲碁のことは述べられていませんが、
日本の美意識が大いに当てはまる点があると感じました。
僕は囲碁というゲームについて
■少ないルールで無限の盤面をリデザインできて凄い
程度に思っていたんですが、実際には
■「少ないルールから生まれた大きな余白の上で、あえて余白を残し、
ポジティブな石をネガティブに使って、間接的に余白に「価値」を付与するところが凄い
と気付かされました。やり過ぎなくらいのこだわりです。
うまく説明できていないけれど、
囲碁は、余白の中で余白を展開するゲームだと思いました。
まるでゲームプレイのなかで改めてゲームデザインし直しているようです。
古風と思っていた囲碁が、ここまでアバンギャルドとは思いもしませんでした。
*
もうひとつ
なぜ僕がテレポー塔のようなデザインに惹かれたのか、その答えも明確になりました。
■二つの相反するものを受け入れ、その境界に新たな世界を見るのが日本の方法だ
という点です。
我が意を得たりという感じで、正剛さんの洞察に恐れ入ります。
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